台風の列島、いちにち無事を祈る。これからどう進むのか。

奈良の自宅で静かに過ごす。

そんないちにち。高校ダンス部について、調べてみるとわりといろんな人がいろんな意見を述べているな。それぞれの立場でいろんな意見がある。

意見を表明する人の多くは、言いたいことがあって、わざわざ述べるわけであるから高校ダンス部の今の現状に対して批判的になる。そういうことになります。

今の方向でいいんじゃないかという人は基本、意見を言うにはいたらないんやろな。

なので、世の中の万事についての意見というのは当然、批判的にならざるを得ないし、その中でよりよいものが求められればそれに越したことはない。

このブログでも若干述べてきたかと思いますが、それはそれで独自の立場からの意見ということになりますな。

高校ダンス部のあり方についてとか、大会の在り方についてとか、思うことはそれなりにあるけれど、自分たちのやり方を追求し、部活動として、生徒たちの活動をサポートすることに尽きます。

それでも皆さんの総じて批判的な意見の大部分は、ダンスの大会なのだから素人ではなく、ダンスの専門家が審査をすべきである、ということかな。

まあ真っ当な意見です。異論はない。

それでも個人的にはそれだけでない、いろんな立場で観てもらって違う角度から評価してもらうのもまた、楽しいなと感じます。

それは自分自身がダンス素人であり、踊ってきた経験がないことから生まれる感覚かと思います。

ダンサーでない人にも伝わるダンスがよいのではないかと。

この俺にも伝わるダンスを踊ってくれ、と。

そういうことを思ったりするわけです。

また話は変わって、高校ダンス部の大会、コンプライアンスということについてあまり考えられていないな、と感じることがある。

その時は、かなり強く現場で抗議します。現場の責任者に直接会って、話をして、考えを伝える。大会運営についてコンプライアンスという考えをもってほしいと。

それはどこから生じるかというと、ダンスの世界はとても狭い、ということからくる。ダンサーの世界は狭いな、と正直感じることがある。狭いというのはダンサーの人数が限られているという意味です。

そこからコンプライアンスの問題が生じる。高校ダンス部の指導に直接かかわっている人物が大会の審査に関わることがあったりする。

性善説にもとづいてダンサーの世界はジャッジメントが行われてきたし、今も行われています。そこには特に異議を唱えるつもりはない。

一般の、民間の、ダンサーのコンテストは、当然ダンサーが審査するのでダンサーは互いに知り合いであったり、子弟であったり、します。踊る側と審査する側に人間関係があったりする。そんな世界です。

だからといって、高校ダンス部の大会にその論理を、その慣習を持ち込んではならないと、考えています。

それが高校ダンスにおける基本的なコンプライアンスです。

それからもうひとつ、現場の教員も、審査するべきでないと考えます。顧問が審査する大会も存在しますが、コンプライアンスの観点から、その任をすべきではありません。

利害関係から、出来るだけ遠い距離の立場にある人物に審査を頼むことが肝要と考えます。

学校現場の、部活動の、高校ダンス部の大会は、性善説によりかかってはならない、と。