わからないことがあったら、聞きにいく。

それが学びの本質です。

自分には学ぶべきことがあり、そしてそれを教えてくれる人がいる。

そこに学びの構造が浮かび上がります。

教えてください、という無垢な姿勢は教える側の気持ちをより強くします。

毎年、毎年、同じように繰り返されるセリフに今年の1年生は全然聞きに来ない、これではダメだという先輩たちの言葉です。

おいおいお前らもそう言われていたけどな、と思うけれど先輩になったら今度はそう思うことになる。

自分たちの時はもっと先輩に聞きに行っていたのに、と思うようです。

学ぼうとする、その気持ちがなければ、教えるという行為はそもそも無に帰する。

学びは常に、教える側ではなく、無知であるという自覚をもった学ぼうとする側に存することになります。

先輩が後輩に教えるという学びの構造はそこに立ちあがることになる。

学びの本質はそこにある。